オトギ倶楽部の別府案内

当時の満州と朝鮮に遠征する前に資金作りに作成したパンフレットではないかと思いますが、この旅行がいつだったのか?一応大正終わりか昭和初期と思われますが。
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メンバー4人の名前があり、梅田凡平、原北陽、宇良四又郎(南小教師の平岡繁のこと)、森川謙二。
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# by mishio2004 | 2009-10-16 13:05

河崎商会のチラシ

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河崎商会は戦前、流川通り3丁目のビリケンの向かい側あたりに店を構えて、湯の花と地獄飴を製造販売していた。このチラシの湯の素とは、明礬の神井泉のあたりで採取した湯の花?を精製した?ものだったのだろうか。年号も明治の終わりなのか、大正の初めなのか?
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# by mishio2004 | 2009-10-14 21:13

旅館の年賀状

昔の資料を収集していると、旅館から顧客への年賀状や暑中見舞いがけっこうある。(今と比べてどうなのかはわからないが)昔は丁寧だったんだなと思う。
左側は大正12年以久代旅館という旅館から、右は昭和7年喜久屋という田の湯の旅館から差し出した年賀状だ。
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# by mishio2004 | 2009-10-08 01:31

明治41年7月建設って?

朝見の山のほうの六枚屏風という絵葉書(明治終わり頃)。その中に、明治41年7月建設と書かれた標柱がかすかに見える。何を建設したのか?道路なのかな??
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# by mishio2004 | 2009-10-04 17:27

スイス旅館

別府駅前に小さいがしゃれたスイス旅館というのがあったらしい。旅館の写真があると楽しいが、これは昭和13年のハガキの差出人の欄に書いてあったものだ。
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# by mishio2004 | 2009-10-04 17:20

冨士屋本家のこと

「冨士屋旅館(本家)」という絵葉書(右)の2階部分と、筑後屋旅館の絵葉書の右端っこ(左)の比較写真。
冨士屋本家は現在、むし湯が建設されている場所。
筑後屋旅館は安楽屋の北側の空き地。
右側の写真は大正時代のものと思われ、左側の写真は昭和初期と思われる。かなり変化が見て取れる。手すりの様子がちがうし、第一に電信柱のあるなしが大きな違いだ。
この建物は明治10年の西南戦争のころに建てられたという話がある。
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# by mishio2004 | 2006-04-03 01:19

昭和初期から戦後までの海岸沿い建物比較

昭和初期から戦後まもないころまでの海岸ぞいの旅館などの写真を並べている。いろいろ比較すると興味深いことがいろいろある。
上の2枚とも流川通りの一番下、イヨヤ旅館が左はしに写っていて、情景としては海軍の兵隊たちがランチ(と呼ぶのか?)で上陸しているシーン。一番上の写真ではイヨヤの2軒隣の建物に「入湯御宿まつざかや」という文字が読み取れる(ブログ掲載写真では見えないので申し訳ないが)。その隣は読みづらいが、下の写真にも同じ文字が書かれている。ここは野菜市場だったことはわかっている。そして、その隣の大きな旅館が鶴萬。そしてさらに右隣は、児玉旅館(4階建てということでよいのかな?)がどっしりとそびえている。
なお、鶴萬の裏ににょきっと見えるのは、屋根に大書されている文字からわかるように森屋旅館の5階建て。
2枚目を比較しながらみると、イヨヤに文字がくっきりあるし、となりは「氷、油」の大きな看板があり、実は若木屋商店なのだ。そしてとなりはまつざかやのはずだが、文字が消えている。
なお、森屋の5階建ても消えている。そして、画面右端にかすかにだが、海岸砂湯の休憩所の新しい建物が見える。
なお、3枚目は戦後の写真で、久保水道の写真。これは、若木屋のあとということでよいのかな?
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# by mishio2004 | 2006-03-29 00:53

松坂屋旅館があった

前に紹介した竹瓦温泉そばの昔の絵葉書の端っこに、かすかに旅館らしき看板が見えます。かろうじて、わかるのは「木下歳太郎」という主人の名前だけ。
大正9年の旅館名簿、別府旅館能力調査表にありました。松坂屋という旅館でした!
松坂屋   木下歳太郎 ナ シ 木賃 3階   5   17  大正9年2月13日(創業年)
場所はイヨヤ旅館の裏手にあったということになります。今は駐車場ですね。
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# by mishio2004 | 2006-03-09 01:59

名残橋

流川の別名が名残川。その川にかかっていた橋が名残橋。その石柱が現在、マルショク流川店下のおかしの菊家の入り口に展示してある。
掲載した地図は大正2年のもの。すでに川には覆い(石?木の板?)がされていて、たぶん、下を川が流れていることはさほど意識されなくなっていたのではないだろうか。
名残橋のあたりから下流はまだ、川の流れが表に出ていたんだけど…
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# by mishio2004 | 2006-03-04 14:05

明治44年と大正2年の変化

2年の違いがある同じ地図(ちょっと遊びで白黒反転した画像です)を比較してみると、その変化が面白い。とりあえず、梅園町あたりを見てみると(左が明治44年、右が大正2年)、大正2年の地図には梅園泉(梅園温泉と同一と判断していいだろう)が出てきている。
地図の中で「ウメゾノ丁(梅園町)」とあるのは、西法寺から波止場神社へと東へ下る(今ももちろん存在するたて通り)通りだ。
名残川というのは流川のこと。
ところで梅園温泉は昭和8年の別府市誌のデータでは「梅園温泉/市有/梅園町/炭酸泉/大正五年/工費2500円」。大正5年に建ったことになっているので、少し食い違う。5年以前に、簡素な温泉がすでにあったということだろうか?
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# by mishio2004 | 2006-03-04 13:48