昨年から県の事業で、温泉施設として整備された照湯。昔は石ころだらけの(川の氾濫で上流から流れてきたものでしょうが)照湯地獄でした。
江戸時代に玖珠の森藩の8代藩主久留島通嘉(みちよし)が、専用の温泉場として整備した絵が「鶴見七湯廼(の)記」に載っていて、ずいぶん立派だったようですが、その後は荒れ果てていたわけでしょうね。 それで温泉場としてではなく、噴気立ち上る「照湯地獄」として明治時代から名所の一つだったようです。
by mishio2004
| 2004-08-20 11:05
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